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2010年2月27日土曜日

石原知事、バンクーバー五輪の日本選手の戦い「かわいそう…あれが日本の実力」(産経新聞) - Yahoo!ニュース

慎太郎曰く:
石原知事、バンクーバー五輪の日本選手の戦い「かわいそう…あれが日本の実力」(産経新聞) - Yahoo!ニュース: " 「もうかわいそうで見てられないよ。あれが日本の実力なんだよ」"

いや、昔はそうでもなかった。しかし80年代以降、ノーソン利権集団が手前らへの利益誘導のためにだけ、国民の健康は無視してニッポン人はコメさえ食えばいいと言う政治的な「食育」とやらを始めたから、ニッポン人の身体運動能力は著しく低下してこういうことになった。

戦後のニッポン・システムとは、勤勉な都市労働者の稼ぐお金を、働きがないイナカに政治的に分配するシステムに他ならなかった。イナカの利権を代弁する自民党が頑張ったおかげ。おかげでイナカ住民は驚くほど裕福になったが、都市住民の生活レベルは相変わらず惨めなまま。50年前の生活レベルと現在の生活レベルの比較を都市とイナカでそれぞれやってみると分かる。ニッポンの戦後の経済発展とは、経済発展を生みだした都市住民の稼ぎを、経済成長にただ乗りするイナカに制度的に分配しイナカ住民の生活を豊かにするためのものにすぎなかったのである。

自民党が支配する時代にようやく終わりが告げられ、民主党の天下となったが、国民経済の生産性を無視した「イナカへの分配第一主義」はそのまま(そりゃそうだわな、民主党は、イナカの票を買収することこそ政治権力取得の鍵だと言う「小沢」自民党のコピーにしかすぎないのだから)。働き手が割を食うシステムは逆に加速されたかのように見える。これではニッポンはますます落ち目になるだけ。まるで40年前のペロン時代のアルゼンチンを見ているようだ。

あまりにアホらしいので、おいらは経済について建設的なことを考えるのはもう止める。ニッポンは、いまやもうどうしようもない状態だと感じる。それを前提にして国民一人一人の生活防衛を考えねばならない時代となった。

慎太郎も、本能的にニッポンの運命的な衰退を感知しているから、こういう発言となったのだろう。彼はアホだが、時代の流れを読む動物的感覚には優れているのである。

2010年2月14日日曜日

冬季オリンピック……穀物食ばかりの「食育」をやっているから日本は負ける!

冬季オリンピックが始まったそうだ。テレビではそればっかり。やむなく競技を見てしまった。男子5000メートルスケート。欧米選手の足回りはまるでおいらの腰回りみたいだ。彼我の体格の「格差」に驚倒した。これでは勝負にならない。

戦後の学校給食にタンパク質を導入することで若者の体格は飛躍的に向上した。しかしそれは80年代までで、その後は農水省主導の国内農業への利益誘導のための「食育」政策が全盛を迎えたため、若者の体格は劣化する一途を辿っている(農水省の主張する「カロリーベースの食料自給率」を上げるためには肉ではなく穀物を食べるしかなく国民の栄養状態は悪化するのである)。いまだに食育オバさんを大量に動員しマスコミを通じて「野菜とおコメを食べるのが健康への道です」という偏った宣伝を大々的にやっている。これではダメだ。

それでも韓国人選手がいい線を行っていた。焼肉とキムチのおかげか。それでも体格は欧米選手に見劣りがする。アジア人種は体重が少ないので貧弱な筋肉でもある程度の成績は残せる。しかしオリンピック選手の身体能力を「社会的に有効な身体能力」として考えてみれば、自分の体重分だけを移動させる体力ではあまり意味がない。20キロのリュックサックを背負わせて同じ5000メートルを競わさればどっちが勝つのかは明らか。国民一人一人の体格が貧弱では、経済でも勝てないし、戦争にも勝てないのである。

戦争が大好きな「ウヨ」に限って、あいつらは農村を基盤にしているためコメと野菜の伝統食「食育原理主義者」であることは、嗤うばかりだ。

ノーソンが栄えてニッポンが滅びる。悲しいことである。

2009年12月11日金曜日

天皇陛下と会うには「1ヶ月」の事前申請が必要であり、今回は極めて遺憾(宮内庁長官)

おやおや、このニュース:
ANN NEWS: "陛下と海外からの賓客との面会は、1カ月前までに調整を始めることが2004年から政府内での取り決めとなっています。宮内庁によると、習近平副主席との面会については先月26日に突然、打診があり、政府の「日中関係の重要性にかんがみ」という強い希望で従来のルールを適用しないことになりました。羽毛田長官は、会見で「ルールは、国の大小にかかわらず実施してきて、政治的重要性で変わるべきものではない」と話し、陛下の政治的利用につながる可能性を指摘しました。「こういうことは2度とあってほしくない」としています。"
こう言う前例踏襲主義こそ「お役所仕事」と言うんじゃないのかね。

おいらも、いまお役所と戦っている最中。ヨットに搭載する国際VHFという通信機器なのだが、国際的にはごく普通に使われている機器であるにかかわらず、ニッポンでは「天文学的」に煩雑な役所との手続きが必要(ここ)。ニッポンでは「民には外部との通信手段を持たせるな」ということが戦前からの伝統となっているらしい(ゾルゲもスパイ罪の立証は難しかったが、結局、自宅に短波無線機を所有していたと言うことが決め手となりスパイ罪が成立した)。国際VHFはようやく規制緩和されて申請すれば使えることになったのはいいけれど、申請から「予備免許」まで実に1ヶ月以上かかった。本免許までどのくらい時間が掛かるかはまだ分からない(同じようにアマチュア無線の免許取得にも1ヶ月かかる)。天皇陛下とお会いするにも「1ヶ月」の事前申請だというのも、これに似ている。

お役所がこうまで時間を掛けて「入念に」審査することは、一種のサボタージュであるといっていい。国民経済にとって多大の「桎梏」となっているのである。

2009年10月3日土曜日

2016年オリンピック、東京敗退 「環境と安全」のスローガンじゃ、しょうがないわな

「環境と安全」なんかには「もう、うんざり」という世界の「空気」が読めなかったのが、石原君の敗因だな。

オリンピックはしょせんお祭り。みんなが「どこにいってみたいか」で勝負は決まる。大会運営の完璧さなんかはどうでもいいこと。いい加減でも楽しければそれでいい。古来のオリンピックとはもともとそういうものだ。

その「いい加減さ」の面白さという意味では、東京は良い線を行っていた。街中に空中電線が張り巡らされた東京の都市景観は世界すべての近代都市に大きく見劣りし、まさに「巨大な農村景観」そのもの。とても「エキゾチズム」があった。それを武器に前近代的「エキゾチズム」を売り込めば、まだ東京にもチャンスはあったのかも知れないけれど、先進国の振りをして高い目線で「環境と安全」となんかやったのが間違いだった。

そもそも今のニッポンでヒステリー的に叫ばれる「環境と安全」なんかには、もううんざりしている人が世界には多いのである。それはさておいても、そもそも東京が「環境」を云々するにはまだまだ100年早い。ニッポンで叫ばれる「環境」とは、その対策でメシを喰おうとするイナカ利権集団が言い立てている政治的スローガンにしか過ぎない。イナカ利権集団への富の移転システムこそが「世界の潮流」だと誤解してしまったことが東京の敗因だった。ニッポンの常識は世界の非常識なのである。

その風潮に迎合して利得を得ようとするにせよ、「安全」を訴えるのであれば統制国家の大将である将軍様の方がよほど有利だっただろう。「環境」を言うのであれば、東京の貧弱な都市環境をすこしは先進国並みにして、国中のイナカに蔓延る税金で建てあげた醜悪な箱物とコンクリート構造物を撤去してから言って欲しかった。

リオデジャネイロは面白いと思う。あのめちゃくささが、とても真っ正直で、なんとも言えない。この機会にもう一度行ってみたいと思う。

2009年9月24日木曜日

免税軽油の手続き……いろいろ勉強になった!

以前安良里漁協で教えてもらった免税軽油の件(ここ)。藤井新大臣は来年4月で暫定税率は廃止すると言っているが、少なくともそれまでは余分に税金を払わねばならない。無駄な税金を払うのは剣呑なので今朝超面倒くさい手続きに新宿都税事務所に行ってきた。担当者は親切でしたよ。発見いろいろ:

  1. 印鑑証明と住民票が必要なので区役所に行くと自動交付機なるものが備えてある。これがあれば休日発行も可能でおまけに料金が安い。文明の進歩だ。なぜもっと前から導入しなかったんだろう?
  2. 電話で聞いた書類では足りず売買契約書の写しも必要とのこと。郵便で送ることで封筒を貰った。切手は自分で貼ってくれとのこと。しょうがない。
  3. 使用印鑑登録。これは登録給油所以外での給油の場合、切符(免許証という)の裏に裏書きをする必要があるが、ヨットに登録印鑑(実印)を常備しておくわけにはいかないのでそれ専用の印鑑を登録する。ヨットにもハンコがいるとは、ニッポンはハンコ社会。
  4. 必要推定軽油数量を、自分じゃ相当さばを読んだつもりで年間300リットルと書いたら、「そんなに少なくていいの」と目を丸くされた。ヨットの主機はセールでエンジンは補機に過ぎないのだが、新宿にはモーターボートユーザーばかり住んでる見たい。さっそく増量しておいた。
  5. 航海計画書も提出必要。毎月「夢の島ハーバー」や波布の港に機走で航海すると書いて提出。マイルの計算がやっかいだなと思ったら時間数と必要燃料数量を書くだけでいい。簡単簡単。
  6. 船の給油口に「新宿区お墨付きの免税軽油を使用する船舶である」旨のシールを貼り、後でその写真を提出する必要があるらしい。船舶関係のお役所はやたらシールが好きで何でもかんでもペタペタ貼る。船がシールだらけになるな。
  7. 毎月の燃料使用報告書のひな形を貰う。余った切符は別途書類を付けて返却する義務があるよし。100リットル券にした方が面倒がないよと言われるが、そんな単位で給油するわけがなく10リットル券で申請。
  8. 新宿都税事務所は駐車場付き。帰りに無料駐車券2時間分をくれる。昼飯時だったので小滝橋通りで食事して帰ってきてもまだ時間以内。それも面倒だったら都税事務所の地下に食堂がある。得した気分。

おいらは書類を書くだけでいいが、その審査をマジメにやろうと思ったらたいへん。これだけのたいへんな作業をこなす公務員もたいへん。余分な徴税や規制は、逆に税金の無駄遣いとはよくいったものだ。

2009年7月6日月曜日

7/6 Today モーパッサンが死ぬ(1893)

ギ・ド・モーパッサン - Wikipedia: "ギ・ド・モーパッサン(アンリ・ルネ・アルベール・ギ・ド・モーパッサン(Henri René Albert Guy de Maupassant)、1850年8月5日 - 1893年7月6日)は、フランスの自然主義の作家、劇作家、詩人。『女の一生』などの長編6篇、『脂肪の塊』などの短篇約260篇、ほかを遺した。20世紀初期の日本の作家にも、影響を与えた。"
永井荷風も、パリに到着するや否や、モンソー公園のモーパッサン像(写真)に「参拝」している。荷風の短編にはモーパッサンの影響とみられる作品が多い(「勲章」「買い出し」など)。社会に対するシニカルな見方に共通するものがあった。

彼の生活:
1883年、33歳のときの『女の一生』は、レフ・トルストイにも評価され、3万部を売り上げた。エトルタに別荘を構えた。1885年、南仏アンティーブに別荘を買った。1886年、ヨットを持った。活発な執筆出版活動のかたわら、旅を重ねた。海浜に育って、水の遊びを好いた。婦人との交友はあったが、結婚はしなかった。目はますます悪くなった。

1888年、38歳、不眠が募った。変人ぶりが目立ってきた。1889年、麻酔薬を乱用した。この年のパリ万博に建ったエッフェル塔を嫌い、眺めずに済むからと、塔のレストランで食事した。1891年、発狂が疑えなくなった。1892年、自殺未遂を起こし、パリ16区パッシー(Passy)の精神病院に収容された。

1893年、43歳、その病院で没し、モンパルナス墓地に葬られた。

モーパッサンもヨットを持っていたのだ。当時からヨーロッパではちょっと余裕が出来ると海辺に別荘とヨットを持つ人が多かった。日本の海岸線は世界でも有数の長さがあるのに(世界5位?)、いまだにセーリングは少数派の遊び。最近は若者離れがひどくますます高齢化が進んでいる。バラマキ公共事業のおかげで日本の海岸線はコンクリート堤防と岸壁ばかりになってしまったからである。

そのコンクリートだらけの日本で、一番「自然」が残っているのは、海の上。だれからも干渉されない。セーリングはもっと見直されてもいいんじゃないか。おいらのセーリングブログはここ。面白いよ。

2009年4月24日金曜日

しばらく安良里に行きます

安良里とは西伊豆の小さな漁港。行ってるあいだは別ブログ「Letter from Arari Port」の方に書き込みます。iPhone による送信となります。

どんなところかはここ。安良里マリーナ全景(写ってる船はおいらのじゃない)。漁協が管理する港(第2種漁港)で、係留艇は漁協お墨付きの登録旗をもらえる。これでおいらも立派な「インサイダー」。

2009年3月24日火曜日

3/24 Today ジュール・ヴェルヌが死ぬ(1905)

ジュール・ヴェルヌ - Wikipedia: "ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne, 1828年2月8日 - 1905年3月24日)は、小説家・SF作家・政治家。H・G・ウェルズとともにSFの開祖として知られ、SFの父とも呼ばれる。"

ところで『80日間世界一周』だが、ヨットでそれを実現した人がいる。



NHKアーカイブス 保存番組検索: ジュール・ヴェルヌ杯 世界一周無寄港ヨットレースの記録~1994テレビ・ニュージーランド制作~: "80日間世界一周を風と人力だけで実現しようと設けられたヨットレース。冒険小説「80日間世界一周」の作者の名前をとって「ジュール ・ヴェルヌ杯」としたこのレースの第1回は93年、フランス船とニュー ジーランドのエンザ号の2隻で記録を競った。しかしエンザ号は途中 漂流物に激突し大破、レースを断念した。翌94年、新造のエンザ号 は第2回のレースに再び挑戦、74日22時間17分22秒で優勝した。 各大陸の岬を通過、無寄港、無アシストの全記録を伝える。"

すごいな〜というところが、上には上がいる。しかも女性:
Yahoo!オークション - 洋書★エレン・マッカーサー写真集★ヨット単独世界一周最速記録: "本書は英国の国民的英雄、エレン・マッカーサーが2005年に打ち立てた単独無寄港世界一周の最速記録(71日14時間18分33秒)の模様を収録した写真集です。

27歳の若き女性で、しかも向こう100年は破られることは無いであろうと言われていた既存の記録を破ったことは、世界的なニュースにもなりました。
なかなかピンときませんが、とにかくこれはドえらい記録です。

エリザベス女王から大英帝国勲章第二位(いわゆるナイトの称号)を授与され、ローレウス世界スポーツ賞の年間最優秀活動選手賞を受賞したことからも評価の高さが窺い知れます。"

2009年2月21日土曜日

『海の狼』(ジャック・ロンドン)……これぞ「人生」小説!

最近の歯が浮くようなポリティカリー・コレクトな小説にうんざりしている人がいたら、これがおすすめ。人生とは野蛮な闘争であり、それに勝つことと正義とは全く関係がないことがよくわかる。

右の画(クリックで拡大)はこの物語が展開される舞台となる海豹船ゴースト号。二本マストのスクーナー。帆船の取り扱い方の勉強にもなる。




海豹船ではオットセイを狩猟するのに小型ボートを使う。天候が急変すると小型ボートは転覆してしまうので急いで本船に回収するのだが、そのためには本船は強風下で停船しなくてはならない。これを「ヒービング・ツー」と言うが描写が圧巻。暴風下一刻を争うためにスクーナーはセールを全開にして驀進、ボートを見つけるや風上側で下手急旋回ジャイブをして船首を風上に立て、メンスルをいっぱいに絞り同時にジブを風上側に張って裏風を受けさせて固定する。舵はラフいっぱいの位置で縛る。本船はこれで見事に停船し、ボートの方向にゆっくり寄っていくのだ。小型艇でやるのはともかく、大型スクーナーではたいへんな作業。昔の船乗りは尊敬するな〜。

このページ(防衛大ヨット部マニュアル)に「ヒービング・ツー」の原理が解説されている。英文学を読むにはこの手の知識は必須条件なのである。

狼ラーセン船長は、けっこう学があって聖書の「伝道の書」なんかを暗唱する。おいらは信心深くないのだが、この「伝道の書(コレヘトの言葉)」というのは般若信教や悪人往生みたいでなかなかいけますね。気に入った。

2009年2月6日金曜日

NHK特報首都圏:不況のなか運動選手はたいへん

運動選手たちはスポンサーが見つからないのでたいへんだとのこと:
NHK首都圏放送センター [特報首都圏]: " あと1年に迫ったバンクーバーの冬季五輪。プレシーズンを迎えたこの冬、選手たちの戦いが始まっている。
 その一方で、不況の影響がウインタースポーツの世界にも及んでいる。企業が相次いでスポンサーを撤退するなど、選手を取り巻く状況が急激に悪化。多くのアスリートたちが不安を抱えながらトレーニングを続けている。
 そうした中、一般市民などから広く活動費を集め、アスリートを支えようとする動きも始まっている。逆風の中で格闘する選手たちの姿を追った。"
コメンテイターは「これは”派遣切り”と同じだ」と企業の「無責任ぶり」に立腹している。でもこれは少しおかしいと思う。

オリンピックは所詮アマチュアスポーツの世界。好きなスポーツをやるのに人のお金を当てにしてはいけない。これではメダルが取れないと言うが、バブル全盛期のカネ余り時代でもニッポンのスポーツ選手は世界で良い成績を上げられなかった。ニッポンシステムの元ではお金でメダルが買えるわけでもないようなのだ。

昔、日本が貧乏だった時代でも日本選手はオリンピックで良い成績を残したように思える。なぜ最近弱くなってしまったのか。多分、農水族による「食育」などの「一億粗食強制政策」のおかげで、選手の体格が国際的に見劣りするようになってしまったからではないか。トルシエ監督は、こんな体格では世界に通用しないと言い残して日本を去った。

体格形成に一番影響するのが牛肉の摂取量。昔の貧乏家族でもいまより牛肉はたくさん食べていたような気がする。すき焼きは庶民の家庭の定番メニューだった。なにせ昔は牛肉が鶏肉より安かったのだ。いまは国内牛肉生産者の「高価格政策」によって牛肉はとてつもなく贅沢品になってしまい、庶民は食べられなくなってしまった。マクドや吉野家などでは安い輸入牛肉を食べられるが「食育おばさん」から目の仇にされている。オリンピックでメダルが取れないわけだ。

昔、孔子さまは庶民が牛肉をたくさん食べられる政治こそ良い政治だといった。孔子さまが今の日本の政治をを見れば利権集団のエゴに振り回されている「天下の悪政」と言うことだろう。

2009年1月11日日曜日

全国都道府県対抗女子駅伝……京のおなごは強いの〜

NIKKEI NET(日経ネット):京都が5連覇 全国都道府県対抗女子駅伝第27回: "全国都道府県対抗女子駅伝は11日、京都市の西京極陸上競技場発着の9区間、42.195キロで行われ、地元の京都が2時間15分39秒で大会5連覇を達成した。2位でたすきを受けた8区の久馬萌(綾部中)が前を走る岡山を抜いてトップに立ち、そのまま逃げ切った。
"
みんないい顔している。今日日のニッポンで元気なのはおなごだけ。

◆◆ 第27回全国都道府県対抗女子駅伝競争大会 ◆◆ (ゴール速報)


順位 都道府県 ゴールタイム
1位 京 都 2゜15′39″
2位 岡 山 2゜17′03″
3位 兵 庫 2゜17′42″
4位 熊 本 2゜19′09″
5位 福 岡 2゜19′18″
6位 埼 玉 2゜19′22″
7位 宮 崎 2゜19′23″
8位 長 野 2゜19′28″
9位 長 崎 2゜19′33″
10位 愛 知 2゜19′56″
11位 神奈川 2゜20′21″
12位 千 葉 2゜20′23″
13位 山 口 2゜20′24″
14位 山 形 2゜20′27″
15位 広 島 2゜20′35″
16位 静 岡 2゜20′47″
17位 愛 媛 2゜20′54″
18位 新 潟 2゜21′01″
19位 岐 阜 2゜21′11″
20位 福 井 2゜21′16″
21位 栃 木 2゜21′17″
22位 群 馬 2゜21′21″
23位 鳥 取 2゜21′49″
24位 東 京 2゜22′01″
25位 宮 城 2゜22′11″
26位 佐 賀 2゜22′21″
27位 滋 賀 2゜22′23″
28位 山 梨 2゜22′31″
29位 秋 田 2゜22′34″
30位 福 島 2゜22′43″
31位 茨 城 2゜23′19″
32位 大 阪 2゜23′22″
33位 島 根 2゜23′31″
34位 鹿児島 2゜23′42″
35位 富 山 2゜23′56″
36位 岩 手 2゜24′28″
37位 高 知 2゜25′00″
38位 徳 島 2゜25′03″
39位 三 重 2゜25′04″
40位 和歌山 2゜25′13″
41位 北海道 2゜25′19″
42位 石 川 2゜26′17″
43位 青 森 2゜26′23″
44位 大 分 2゜26′31″
45位 香 川 2゜26′56″
46位 奈 良 2゜27′35″
47位 沖 縄 2゜27′47″

東京のおなごは軟弱だの〜。

2002年7月2日火曜日

ワールドカップ雑感(日韓関係)

2002.7.2


スポーツ観戦はそれほど趣味ではないんですが、さすがにワールドカップ期間中はテレビを見ることが多かったです。日本が勝つと大興奮。負けてしまうと悔しかった。でも同じ開催国である韓国が残っていたから韓国応援に切り替えました。見てみると韓国は強いですね。強豪イタリアには走りまくって辛勝し、優勝候補のスペインまで撃ち破ってしまいました。散人は韓国を応援していたので「非常に結構」だった筈なんですが、正直に認めますと、何か複雑な感情も芽生えてきたのも事実でした。「日本が負けたのに何で韓国だけが勝ち続けるの」とちょっと面白くなかったのです。散人ばかりじゃなく、多くの日本人が同じような感情を持ったといろんなところで聞きました。ちょっと由々しきことかもしれません。

考えますに、これは「嫉妬心」です。「嫉妬」と言えば、女性の方には失礼ですが、古くから女の専売特許みたいに考えられてきました。でも男にも嫉妬心は確実に存在する。もっとも観察してみますに男と女では嫉妬の現れ方がちょっと違うようです。女の場合「いいなあ、あんなのになりたいなあ」と願望の形で現れるのが多いのに対して、男の場合は「なんだ憎たらしい、いい思いをしやがってけしからん」と否定的な形で(足を引っ張るともうしましょうか)表現されることが多いようであります。もちろん女の方にも男のような嫉妬をもたれる場合もあり、逆もまた真の場合もあるのですが、なんかこんな感じがします。

嫉妬心がサッカーとか男女関係に留まっているかぎり大した問題ではないでしょう。けれど昨今この感情が社会問題、国際問題まで広く広がりつつあるような気がします。日本には江戸時代から「等しく貧しきを憂えず」という結果平等思想がありました。「みんな貧しくとも人並みである限り」特に不満はなく、自分の交際範囲や認識範囲が限られた範囲に留まっていた時代には、人々は結構幸せであったと思うのです。でもグローバル化、情報化の時代になるとそう言うわけでもなくなってきます。映画やテレビで見るばかりだった豊かな国の豊かな生活ぶりがより直接的に個人的に認識されるようになり身近なものとなってきています。いままで認識しなかった格差を認識する機会が増えたとも言えるでしょう。ならば「男の嫉妬心」に基づく摩擦は今後どんどん増加すると考えるべきでしょう。昨年の同時国際テロ事件の背景にも、貧しい国の豊かな国に対する嫉妬心があったとの見方があるのです。

また今回サッカーを見て改めて認識したことは、世界的に「ナショナリズム」がまだまだ健在だと言うことです。何十万人が街頭に繰り出し自国のチームを熱狂的に応援する。あのエネルギーに、たかがサッカーといえないような、ある種の不安を感じてしまいました。このナショナリズムが、グローバル化でますます燃え上がりやすくなっている上記の「男の嫉妬」感情と結びつくとどういうことになるのか、戦前のナチズムが裕福なユダヤ人に対する一般人の嫉妬感情から生まれ出たものであることを考えると、日本は明らかに妬まれる側に属している以上、空恐ろしいような気がします。

今回のワールドカップで韓国は、そのチームの体力、技術、それを応援する国民的結束力、全ての面においてその強さを示しました。こういう不安な世界であるからこそ、日本は強い隣人を頼りにするべきです。間違っても敵対側に追いやってはなりません。故高坂正堯が「歴史上のアングロサクソン常勝の秘密は常に強い相手を自分の味方に取り込んだから」と言っていましたが、現在の日本に当てはめて考えると韓国は強くなったからこそ日本の味方として取り込むべしと言うことでしょう。

散人が韓国に初めて旅行したのは1975年でしたが、当時の韓国の貧しさに驚きました。それに比べれば現在は驚くほど豊かな国になっており日本とほとんど変わりません。その意味で「気を遣うことなく話が出来る」相手です。
日本と韓国の二国間の歴史は、支配被支配を繰り返し長年に渡りいがみ合ってきたイギリスとフランスの歴史と似ています。でもいまやイギリスとフランスは、よきライバルではあっても、ほとんど共通の文化と価値観を共有し、お互いに尊敬しあい協力しあう仲となっています。やれば出来るのです。今後の日韓関係が目指すべきものは、現在のイギリスとフランスのような関係に他ならないと感じます。

2001年12月1日土曜日

いわゆる「体育会」的なもの

「紺青」2002 Vol. 21 (2001年会報) に寄稿


いわゆる「体育会」的なもの


たまにではあるが、悪いものを食べて寝た晩など、紐の夢を見ることがある。何か差し迫った状況の中、必死でなにかの紐を結ぼうとするのだが、うまく行かない。状況はどんどん悪化して行く。だれかに大声でせきたてられているのだが、どうしても「舫結び」のやり方が思い出せない。「わあ、どうしよう」というところで目が覚める。ヨット部でクルーをしていたときスキッパーから怒られた経験が、いまだにトラウマとして残っているのだ。

ことほどさように、僕はできの悪いクルーであった。もともと体育会ヨット部に入部したのもスポーツが苦手であるくせにスポーツ選手にあこがれていたため。普通の運動部だったら中学高校からの経験者がうなるほどいるだろうが、ヨットなぞやっている高校生は少ないから同じスタートラインで勝負できる。ひょっとしたら自分もいいところまでいけるかも知れないという期待があったから。でも入部早々、その期待が甘かったことをさんざんに思い知らされることとなった。

それでもなんとか四回生までヨット部を続け、最後は全日本にも出ることが出来たのは、かなりラッキーだった。郷にいれば郷に従え、朱に交われば赤くなる。上級生になると入部したときの苦労は何とやら、スナイプの上で怒鳴り散らすスキッパーとなっていた。クルーの丸山清喜君には今でも悪いことをしたと思っている。でも当時はそうでなければ勝てないと思っていた。

卒業して社会人になっても、しばらくはディンギーのクラブ・レースなぞに出たが、問題はクルー。なり手がなかった。家内をうまく言いくるめて一緒に乗って貰うのだが、続かない。あんたはあまりに serious だという。レースとなれば遊びじゃないのだから真剣にやらねばならないと説明しても、日本人はテンションが強すぎてヨットには向いてないと暴言を吐く。家内はフランス人でブルターニュの海で小さいときからディンギーに乗っていた。ご存じのようにあの辺のディンギー乗りは凄い。でも云っている意味がよくわからなかった。

ようやく家内の云っていることがわかったのは、ベネズエラに駐在したとき。ビーチ・クラブでスナイプに乗ることになって、あるとき知り合ったフランス人の若者にちょっとスナイプを貸してやったが、彼の乗り方にまさに驚倒した。家内と二人で出ていったのだが、しばらくすると家内を下に座らせて自分でバランスをとり、完全にティラーを放して、セールのトリムとバランスだけで自由自在にスナイプを操りだしたのである。あれはとてもまねが出来ない。後で家内に聞くと、かれは完全にリラックスしていて、冗談いいながらの楽しいセーリングだった由。あんたとえらい違いだったと笑われた。

日本のセーリングの歴史も結構長くなった。アメリカズカップにも何度も出場できるぐらい資金的にも余裕が出てきている。でもセーリングの技術水準はまだまだ低いと認めざるをえない。特にうまいスキッパーの数が少なく、底辺が育っていないように思う。どうも選手育成の段階における、硬直的な上下関係に基づく練習風土、いわゆる「体育会」的風土がそれを阻んでいるように思う。どのスポーツでもそうだが、歯を食いしばってただただ努力するやりかたでは、ある一定のレベルには到達してもそれ以上は難しい。特にヨットのような個人競技の色彩が強く、遊びのファクターが大きいスポーツでは、自由に楽しみながら技を極めるという姿勢が大切ではないか。

「何を今更、今はもうそういうやり方で練習しているよ」というなら、これほど嬉しいことはない。

橋本尚幸(S43卒、スナイプ)





1998年11月30日月曜日

杉野さんとアルページュ

〔旧HPより転載〕


杉野さんは亡くなってしまった。向井さんも島氏さんも、江面さんも酒井さんも、みんな亡くなってしまった。楽しいときがあれば、終わりもあるのだ。


杉野さんとアルページュ杉野さんとアルページュ杉野さんとアルページュ
杉野禾吉さんとアルページュ
1998.11 アオレレ (AOLELE) 文集に寄稿


はじめて杉野さんにお会いしたのは、もう30年近くも前になりますが、油壷に浮かぶ青いアルページュの上でした。僕は当時、東京に出てきたばかりの新入社員で、一年先輩の島氏さんの紹介でアオレレに寄せてもらうことになったのです。夏も終わりのある土曜日の午後(当時の住商では土曜日は各週で出勤でした)、向井さんの車で油壷に向かいました。道は混んでいましたが、長者が崎をまわったとたんに、青い海と白い雲が目の前いっぱいに広がり、とても感動したのを憶えています。

道ばたにアシタバが生えているヨッテル際の細道を下り、テンダーを漕いで、お椀のように丸くて背が高いヨットに到着しました。それがアオレレで、なんでもフランス製のアルページュという最新型プロダクションボートで、この春の太平洋横断シングルハンドレースで堂々二位で三崎にゴールしたものを、アオレレメンバーの得意の英語交渉力で買い取ったとのことでした。僕がその高いスターン(その時はまだ梯子がついていなかった)を苦労してよじ登るのを、コックピットから助けてくれた人が杉野さんで、白い半ズボンに、学生帽のような青い帽子がとても印象的でありました。

アオレレでは毎晩が酒盛りでとても盛り上がりました。向井さんは、アルページュの近代的なキッチンで盛んに料理をつくり「このジョンジョン(日本酒)は美味しいよ」と剣菱を呑んでました(わたしは関西育ちなのに剣菱の名前も知らなかった)。江面さんは「式根という島に行くと、崖下の浜に温泉が湧いていて、そこに入っていると目の前に夕陽が見えて、波がどーんと跳ねかえって、とーてもチョーワ(良い)よ」と話してくれました。冨島さんは「ミラノに出張で行ったが日本の円を交換しようとしてもどこでも換えてくれなかった、日本はまだまだアンデーな(良くない)国よ」外国のみやげ話をしていました。島氏さんは「ネー、ネー(了解、了解)」と云いながら、いつもニコニコされていました。隣の船の方がアジのたたきを作ってくれました。(こうやってバイ菌を一つづつ殺すのよ、といって包丁で盛んにアジを叩いておられました)。その他にもいろんな楽しい人たちが集まってアオレレは毎晩にぎやかでした。杉野さんは「普通の船はまずハルがあってその中にキャビンを埋め込むのだが、この船はまずキャビンを設計してその外側にハルをとりつけたのよ」とアルページュの居住性をこよなく愛しておられました。

進藤さんが船にミス・エクアドルを連れてきたり、杉野さんがビール会社の宣伝に船を提供したので美人モデルが大挙してやってきたり、それはそれはドキドキするような楽しいことがいっぱいありました。はじめての初島レースでは、強風のなかでスキッパーの沼口さんの英雄的なティラーさばきに感動しました(明け方になっても頑張って舵を引く沼口さんの頬に、青々と髭が(進行形で)伸びてくるのをみて、ただただすごいと思いました)。向井さんが大きなシイラを釣って、それを皆で食べ尽くしました。そのまま鍋に放り込んで揚げたアナゴのてんぷらも絡み合っていてすごかった。波布の港の岸壁で、御神火という焼酎といっしょにはじめて食べたクサヤの美味しかったこと。日曜日の夕方になると杉野さんの年代物の青い「トラック」をだましだまし運転して東京に帰ってきました。アルページュに乗っていた時の僕たちは本当に楽しく幸せでした。

でもしばらくして僕はアルゼンチンに行くことになり、油壷を去りました。杉野さんも考えるところがあり、会社を辞められ日本を離れました。杉野さんはアルゼンチン経由でブラジルに向かわれたのですが、ブエノスアイレスのバスターミナルで、一人でブラジルに発つ杉野さんをお見送りした時は、さすがに感無量でした。

向井さんが「ヨットマンは常に超現実の世界に理想と夢を求めるのだ」との趣旨のことを云ったことがあります。僕も同じように感じることがあります。船首を大海原に向けてティラーを引くとき、この世のしがらみは後ろに残し去って、すばらしい希望に向けて船を進めているような気になるのです。人生においては、僕の場合、理想と夢は空想の世界の中にそれを求めることで我慢してきたように思います(空想への逃避をしていたのです)。しかし杉野さんの場合は、勇気があり、あくまでも現実の世界における夢と理想を追求され、実践されたのでした。

杉野さんを思い出すとき、どうしても青い色が浮かんできます。相模湾の青い海。杉野さんの青い帽子と青いダッフルコート。杉野さんの青い「トラック」。そしてあくまでも青いヨット「ブルー・アルページュ」です。

アルページュといえば、同じ名前のフランスの香水があります。家内はごく若いころ、この香水をつけていたのですが、それはもうずっと昔のことで、いまはその香りも嗅ぐこともありません。アルページュとは、永遠に「青春の香り」なのかも知れません。

(橋本尚幸)